烏賊下足屋台

ついったーに収まりきらないお気持ちぶち撒け広場

嫌よ嫌よも好きのうち

 

また持論ぶつけるだけの記事です。
嫌なら見るなって理論、本当に嫌なら見ないんですよね。何らかの興味がないと歯牙にもかけない。大方二通りで、大部分は好きだけどここに不満があるって場合と、自分に被害が及ぶかもしれないという(たいていは妄想だけど)予測に基づく批判ですよ。少なくとも私はそう思います。クレームが入ってるうちはまだ良いとか、怒られてるうちが華とか、そういうことだと思うわけです。
…業務の合間にこうして記事の下書き書いてて何も言われてないのはバレてないのか放っておかれているのか。

好きだから目に入ってしまうし、ポリシーがあるから気になる。後述の理由で私が言うのもなんですが、そういう不満とかどんどん言うべきだと思います。意見が合わない人もいるでしょうし、反論してくる人も居ます。完全に意見が一致する人間なんていません。
ですが、それを受け止め(≠受け入れる)て吟味し、自分にとってそれが正しいかどうかを判断する必要があります。誰かを敵に回すことを恐れ、自分の意見をなかなか言わないのは非常にマズいです。私もそうでした。自分の思っていることをそのまま述べる事は、敵を作らないように生きてきた私にとって始めは辛いことでした。色々重なったこともありますが、身体を少し壊したくらいには。しかし、私は全く後悔しませんでした。今までそこから逃げていたのですから、当然の苦痛であると。
当然、意見を言うことと意見を押し付ける・暴言を吐くのは全くの別物です。あくまで大事なのは「私はこう思う」という主張。

最初に戻ると、嫌なものは嫌、違うと思ったことを反論する。これはとても大事なことです。
よく関西人が意見を言うと最後に「知らんけど」とつける、という話があります。大阪出身の人間である私が分析するに、これには大方以下の隠された意味が言葉の前にあります。

1:(あなたがどう思うかは)しらんけど
2:(あなたの意見なんて) しらんけど
3: (本当かどうかは)  しらんけど

こんな感じです。私は大体1の意味で使います。まとめるとそう、この気持ちなのです。誰がどう思おうが知らんが、俺はこう思う!ということをどんどん言っていきましょう。そうした方が楽です。私はまだ、少ししんどいですが。