烏賊下足屋台

ついったーに収まりきらないお気持ちぶち撒け広場

平均の意味

 

また愚痴めいた私見です。

日本人に限った話なのかは分かりませんが、一般的に育った人って物事を平均より上下というものさしでしか判断しない気がします。
例えば仕事の話。
平均して30分かかる作業を1時間かけて終わらせた。その人にとっては倍の速度で仕事をしたにもかかわらず、世間や上司・同僚からは遅いと評される。現場や業務内容にも寄るでしょうが、これではせっかく頑張ってもここでは評価されないとモチベーションがゼロになってしまいます。これはリーダーのタスク管理や割り振りがマズかったという上層部の責任だと思います。しかし一番責められるのは本人。
例えば勉強する時間。
大体同級生が2時間勉強するところを、1時間勉強した。だが本人は机に向かうことすらしなかったがそこから1時間頑張った。しかし親や先生はみんなもっと勉強していると突き放す。これがモチベーションになる人間ならいいが、皆がみんなそうはいかない。当然結果もそれなりの結果であり、もっと勉強しなさいと周りに言われる。

上記の例では、真っ先に障害を持つ人間がぶち当たる壁だと思います。実際に私もADHD持ちとして(数値はともかく)経験があることです。私の「努力」はいつも平均以下なので生きるのがつらい場面も結構あります。
日本の障害者支援は、日常生活に支障をきたし介護者無しでは生活できない人間に対して手厚く行われているように感じます。ですが、私のような日常生活には困らないが致命的に欠けている部分のある人間はどうでしょうか。
私の場合は数字に対して非常にルーズな部分があります。時間、お金、5桁以上の数字、計算などです。改善方法が分らず非常に困ります。医者かかっても薬飲むかそれを気にしない生活をしなさいとしか言われませんでしたし。
愚痴になりました。さて私のような人間、見た目は普通ですが、そういった障害を抱えた人間もいるのです。もちろん、それを改善したりアピールする私側の努力も必要です。ですが、このアピールで社会的に弱い立場になることは明白。ぶっちゃけて言えば就職も難しいですし、収入が少なくなることは想像に難くありません。私自身、特別に秀でた部分があるわけでもないですし、しいて言えば大体のことがそつなくこなせるということ。ただしどの分野でもルールの把握をしないと手が動かないのでそこの理解はしてから。そしてその分野で秀でた人には決してなり得ない、という器用貧乏を地で行く人です。なんでもできるけど、何も出来ないひと。それが私。得意なことと言えば、義務を文句を言いながらも続けること。
というわけで普通の人間の皮をかぶって生活しています。あらゆるルーズさに怒られながら。
今の日本社会に足りていないと感じるもの。それは普通の生活が少し苦手な人間を許容することだと思います。その程度の障害であれば、努力と教育で普通の人と同じレベルに生活ができると考えているのがそもそも問題。あらゆるアプローチを試みてないし、障害者と言うのがマイナスイメージとして定着しすぎている。「できて当たり前」「できて当然」これが全く逆効果である人間もいること。

じゃあ理解のあって進んでいる国に行けって?馬鹿野郎、日本に生まれちまったんだ。ここで生きたいって我がままくらい言わせてくれ。