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TCGとコンテンツ

こんばんわ。蛋白質です。

しばらくご無沙汰しておりましたが、私は元気です。

 

さて今回はタイトルの通りの記事であります。ですが、「TCGとコンテンツ」などとう言われても、コイツは何の話をしているんだと言われてしまいます。

まずはコンテンツという言葉を整理しましょう。コンテンツとは、すなわち「内容」です。ではTCGとは、それそのものが「内容」だからコンテンツなのでは?とお思いでしょう。確かにそのとおりではあるのですが、そうでもない、とも言えるのです。今回のキーは、「TCGがコンテンツか、コンテンツの中にTCGがあるのか。」というところです。

 

コンテンツは入れ子人形

コンテンツとは内容である、と先に書きました。ですが、コンテンツ内には実はコンテンツがまた含まれていることが多分にあるのです。

つまり、TCGというコンテンツの中に、カードゲームというコンテンツ、コレクションというコンテンツ。さらにその中には1対1、1対多、運と実力、思考の読み合い、フィジカルコンディション、パワーバランスなどなど、無数のコンテンツ(=内容)が含まれるというわけです。

それそのものが、ジャンルとしてそのものを支える、柱としての大きなコンテンツとして。その中は、それ自体が持つ魅力や危険性といった小さなコンテンツ。

TCGという大きな家に、無数の階段や家具といったものがあると想像してもらうとわかりやすいかもしれませんね。

 

 

現在のTCG

では、その”物件”について具体的な例を挙げて詳しく見ていきましょう。

世界的に有名なTCGマジック・ザ・ギャザリング」は、TCGそのものが物件(コンテンツ)であると言えるでしょう。その中には、ドラゴンや魔術師の物語があり、イラスト一枚一枚に込められた画家のエピソードや思いがあり、ゲームとしてのバランスを保つための努力や、時には失敗などがあります。

では、対象的に日本で知らぬ者はいないであろう「遊☆戯☆王」はどうでしょうか。こちらは、コンテンツの中にTCGがある…いいえ、あったと言えるでしょう。

元々は漫画を原作に据えた展開でした。(なのでオフィシャルカードゲームとしている)つまり、こちらは物件の内装がTCGだったと言えます。ですが、次第に大きくなっていき、元々のコンテンツとの分裂が随所に見られるようになりました。

もちろん、原作あってのOCGであり、どちらもお互いに存在しなければ成り立たない存在です。ですが、OCGにならないカードがアニメに出てきたり、その逆もまたままある話です。これは良し悪しある現象ですが、ここでは些末なことでしょう。むしろ、それぞれのファン層が合致していることのほうが重要です。

 

そして国産TCGといえば、TCGカンパニーを唄うブシロードの存在は無視できないでしょう。私はこの会社、「TCGカンパニー」として見たときはあまり好きではありません。ですが、この記事で言うところのコンテンツを作る会社としては大好きです。

ですが、この会社はTCGそのものとして面白いものを作るのは苦手なのです。ゲーム性を作るのには不向きな会社なんですね。(そういうところもちょっと好き)

 

 

長々と書きましたが、一旦ここで区切りたいと思います。ぶっちゃけ疲れましたw

反響が少しでもあれば続きを書きます。