烏賊下足屋台

ついったーに収まりきらないお気持ちぶち撒け広場

FGOに物言い

 


ちょっとTwitterに負の感情をブチ撒けてしまったので、いったん自分の感情を整理する
と共に、ちょっとでも前向きなことが言える精神状態にしたいな、ということで苦言を呈する記事を。

何が不満なのかをまとめた上で、なぜ不満なのか、どのようにしてほしいのかを完全独断ではっきり書いておきたいと思います。

…まァ、こんな場末のブログで書いたところで何も変わらないし届かないんだろうけどネ。


【何が】
1:強化素材と進化素材が明らかに需要供給のバランス崩壊している
2:高難度という言葉に言い換えられたただのストレステスト
3:度重なる同様の不具合
4:UIの不親切さ
5:ゲームとしての性質と不釣り合いなボリューム感

主に自分が感じてるのは上記の5つです。これは共感していただける部分がいずれかあるのではないでしょうか。


【なぜ・どのようにしてほしい】
1については常日頃から話題にされている部分であると感じています。例えば種火(経験値素材)はそこそこ大量に手に入るものの、
各種再臨(進化)素材はそれに比べると種類も多く、また入手機会や数も少ないです。これは体感ではなく実際の数値を見ても明らかでしょう。
テストプレイ工程をすっ飛ばしてるとしか思えない。やってみりゃ明らかに分かるしユーザーもピーチク言ってるだろ悪魔かよ。

2は、新たに追加されたBreakシステムや、最初から非常に強力な状態強化を永続で(しかも強化解除は受けない)かけてくる敵などです。
今はかろうじで一定のユーザー数が突破していますが、これからごく限られたユーザーしか突破できなくなるという可能性は、残念ながら否定できません。
敵だけインフレしていくような状況で、未だに1の問題も解決されていないのは如何なものでしょうか。艦これの二の舞ですよ。

次に3ですが、ここからは主にシステム面での話となります。
年始の福袋ガチャでの二重購入可能などの不具合、ハッキリ言いますが私の感想は「またかよ。成長せんのか」でした。
私もシステム屋の端くれですが、こうも大規模のプロジェクトでこのようなユーザーとの直接お金のやりとりをする場面でのミスは、そもそも許されない部分であります。しかし同様の不具合はすでに過去何件かありました。にも拘わらずまたこのようなことが起こってしまうのはなぜなのか。
開発チームの体質を疑わざるを得ません。人の金をなんやと思ってるんやと。挙句ロールバックで狙いを引いていた人たちは落胆させ、期間を延長して気持ち程度の補填を送り終了。貰えるものはもらいますし、私は被害にあってはいません。ですが、被害に合われた方の気持ちを察するに難くありません。開発チームには今後の再発防止案を報告書としてまとめ、公表する必要があります。少なくとも一般的な開発作業なら必要です。会社全体の慢心が見て取れますね。反吐が出る。

そして4。ここは正直すぐ直せるでしょ?と思う部分です。
例えば強化画面でも、被強化対象を変える作業をもっとわかりやすくするとか、コマンドカードを開くときに確認のOn/Offをつけるとか。今のカードの開き方でまず種類だけ見せて、そこまでは閉じてスキル発動などができる。開いて確定するとスターが配られる。という風にするとか、何かしら案はあるはずです。何故やらないのか。こんな私でも思いつくような方法をなぜ実装できないのか。不思議でなりません。しっかりしろ開発者。私より絶対頭いいんだからよ。

最後に5です。これはゲームとしてみたときの全体のバランスです。
主に今のFGOはいわゆる「シナリオゲー」と呼ばれるジャンルに相当すると思ってます。具体的に言うと、ゲームシステムやバランスに関しては不満はあるけど、シナリオがそれを補うレベルで面白いから続けられるって意味です。私もメインシナリオは大好きです。Fateの血統を受け継いでる作品だと思わせてくれます。(不満が無いわけではないですが)しかしゲーム部分は先に上げたように、ソシャゲとしては異常なまでにあらゆるリソースを使います。んな暇人ばっかじゃねぇんだよ。

この際ですハッキリ言いましょう。ノベルゲーで出したほうが禍根無く、また末永く愛され儲かってたと思います。目先の勘定ならソシャゲの方が数字上がるでしょうけど。

 

さて、ここまで書きましたが、一つ私が上記よりもっと深く思っていることを最後に書きます。

私の記憶が確かなら、あらゆるFGOでの不便なところは、それも含めて楽しんでほしい、という思いに帰結していると開発は言っていました。

ですが、不便を楽しむ、というにはほど遠いものと言わざるを得ません。最終再臨スキルMAXの特定キャラ前提のような難易度。一定の戦法が強すぎるため敵がインフレ。先のようにリソースをこれ一本にすべて注がなければならないという「脅迫感」が、今私がFGOに感じている最大の不満点なのかもしれません。

伊織順平という男


ペルソナ3というゲームを御存じだろうか。今から11年前にATLUSより発売されたPS2の傑作RPGだ。
普通の人には感知できない、午前0時より1時間だけ訪れる「影時間」
各々キャラクターは、自分の精神が具現化した「ペルソナ」を使い、現れるシャドウと呼ばれる敵と戦う。
そして影時間を消して元の平穏な世界を取り戻そう、というのがあらすじ。今見てもワクワクするストーリーだ。

私はこのゲームがリメイクされてPSPに移植されたときに手に取った。非常に遊びやすくなっており、テイストの追加こそあれど、
後にオリジナルをプレイしたが、全体的な空気感は保持されておりとても良いリメイクだった。
さて、今回のタイトルはこちらのゲームに出てくる「伊織順平」というキャラクターについてだ。
作中で主人公の親友となり、ともに敵と戦う心強い仲間でもある。
この男、ペルソナ使いという特異な体質でありながら、普通の高校生なのだ。
お調子者で少し乱暴な面もあるが、それらは彼の根にある優しさからくるもので、大手財閥の一人娘や両親を幼いころに無くしていたりといった
ある種濃いキャラぞろいの本作ではかえって目立つ普通の高校生という存在だ。
そんな彼だが、それぞれキャラが戦う覚悟や理由を見出す序盤~中盤にかけて、この男もまた戦う・生きる理由を問われる。
それまで空っぽだった人生に、「影時間で仲間と共にシャドウを倒す」という行為が、充実していると認識している、と指摘される。
全く熱中できるようなものもなく、荒んだ心を喧嘩で誤魔化すような生活だった彼にとってこんな非日常で仲間と共に戦う時間が、
たとえ命がけであったとしても、とても大切な時間だったのだ。
そこでこの男は大いに悩む。割り切っているわけでもない。覚悟が決まっているわけでもない。死ぬのは怖いがまたあの荒んだ日々に戻るのも嫌だ。
また同時期に彼は、出会いと別れを短期間に体験することになる。(詳しくは本編をやるなり調べるなりしてほしい)
それらを経て一回りも二回りも人間として成長していく姿は、本作でも屈指の名場面メイカーだ。
本作は主人公がかなり達観した性格で、周囲の人間も高校生にしては(特有の不安定さや脆さはあっても)完成された精神の持ち主だった。その中で
先にも書いた通り、等身大の高校生が非日常に飛び込んだ、というのが伊織順平という男なのだ。

冗長になってしまったが、ここまで読んでいただけたら嬉しい限り。好きなんだ順平が。


ちなみに、移植作では女主人公を選べる。当然順平も攻略対象なのだが、ここでは「女の子にイイカッコ見せたい」という、
これもまた等身大の彼が描かれており、こちらも必見であることを加筆しておく。


祝、漫画版ペルソナ3完結(この間やっと最終巻読みました)

 

 

それでは。

風俗で初体験をした話


この手のネタは軽率に読者を増やすと何処かで学んだので。姑息な手を


数年前の某月、あれは寒い日だった。兼ねてより恋愛に縁がなく、友達は両性共に出来るが恋人は一人も出来ぬまま年を越そうかという、そんな季節だったと記憶している。

きっかけは、他人への恐怖心を友人に相談した事だった。筆者は限りなくお人好しで、かつ誰でも信じるが自分も含めて全てを信用してないという、とても厄介な性質の人間だ。心で何を考えているのか分からないし、自分を全て晒して相手を失望させたりは決してしたくなかった。だから、一部の人間以外には一定以上の距離感を置いて接してきた。

特に異性間などはそうだ。好きになればなるほど、距離を取って遠くから眺めていた。それだけで満足だった。

「いっぺん風俗でも行ってみ?女の見方変わるで。」

友人達は口を揃えたかのようにこう言った。

震える手で電話をし、予約を取った。隣の県まで行って、今宵男になるのだと思うと、郷愁に駆られた。初めて会う相手と、初めて性交渉をする。なんともまぁ奇妙な話だが。

キスは良かったが挿入はさほどであった。言うほど気持ち良くはなかったと言うのが正直なところだった。また行きたいかと言われたらまぁ、進んでは行かないかな。ただ、その後の嬢から聞く今までの客の話はとても興味深く、面白かった。そこには知らない世界が広がっていた。

さて、これで見方が変わったかと言われれば、それはNoだ。人間、そう簡単に価値観なんて変わらないものだと思った。

とってもくだらない話をつらつらとした訳だけど、まだまだ他人は怖いって概念が抜けそうには無いです。しっぽり抜いたんですがねぇ。

若葉女子校文化祭へお邪魔してきました

※今日のエントリは大分気持ち悪いオタクの文章です。連載?うるせぇこっちが先だ

どうも、蛋白質です。あぁ待って、石を投げないで。タイトルには違う意味が痛い!スツルム殿痛い!!

 

はい、先日は10月15日、フレームアームズ・ガール初の単独イベントフレームアームズ・ガールLIVE SHOW!若葉女子校文化祭~Autumn~」へ行ってきました。ちなみに筆者は武希子とスティレットが好きです。FAGではイノセンティアちゃんがすきだけど今買えないネ!再販まだかナ!(本家ではヤクトファルスが好きだよ)

 

ライブイベだ!てか何気に単独って初!?すごくない!?あれ、本編で見た楽曲以外にもあったっけライブだよネこれ?

と早る気持ちを抑えてチケット申し込み。最速先行こそ外したものの、二次先行で無事にチケットをゲット。なんと座席はX!すげー後ろだな!ニッショーホールの座席を調べると、やっぱりかなり後ろの方でした。ガックシ。でも当たっただけでもすごいはず!結構競争率高そうだったし!

で、当日。物販は混雑とか色々想定出来たので見送りました。ニチアサ見たかったし!ビルドもキュウレンも最近見逃せない展開が続いてるんだよなぁ。

微妙に降る雨の中、運賃をなるべく払いたくない貧乏性の筆者は、新橋から歩くことに。会場の中はホールというだけあって、かなり後ろからでもステージが見える仕様。オペラグラスが欲しかった…。

14時開演ながら少々送れて幕上げ。この辺りの”きっちり企画してるんだけど予定通り進行しない”感じが何とも言えない文化祭感があって、もう気分はお呼ばれした近所の兄ちゃんでした。WEBラジオでのコーナーをやったりキャストが思い思いのシーンを振り返るトークがあったりと、本当に芸能人を呼んだ文化祭的な雰囲気が出る中、私はある一点にとても、とても感動した。

それは、コーナーが変わるときにキャストが移動するときの、靴でステージの上を歩く音だ。

何を言ってるのか分からないって?ではわかりやすく解説しよう。

これは今回のような規模のそれほど大きくないホールでしか起こり得ないことだ。普通に行われるライブや、もっと大型の施設ではステージを別途組んでいたり、そもそもステージの作りが頑丈で靴音が響かない(聞こえない)のだ。これは学校の体育館のステージにも同じことが言える。集会やそれこそ文化祭で、ステージの上を歩く時に靴音が響く音を聞いたことは無いだろうか。まさにアレだったのだ。座席を入れ替えたりするときに音楽を流さなかったが故の、本当に偶然の産物だったと思う。だが、紛れもなくアレは文化祭の空気だった。あの音こそが、最後の隠し味だった。素晴らしい。ありがとうFAGありがとうコトブキヤありがとうニッショーホールありがとうスタッフ。

うん、気持ち悪いね。でもしょうがないじゃない。高校のときは一応運営側だったからさ、こう、行事って思い入れがあるのよ色々と。

あとはねぇ、ライブパートでもこう、何のエフェクトも掛けてない歌声が聞けてね、それもこう、文化祭!って感じでね…。ちなみに佳穂成海さんと綾瀬有さん両名は、舞台で歌って踊るのは初だったそうです。熟しきってない、初なステージ…最高でしたね。同じく樺山ミナミさんも初だったらしいけど…いやマテ、なんだその堂々ったるパフォーマンスは。すごいね、まさに文化祭だよ。え?映像円盤出ないんですか?

あとね、これだけは言わせてくれ。ぴかしゃは今日も可愛かったぞ。

筆者はぴかしゃ大好きなんや…許してや…。(結婚報道あったときは超喜びました。よかったねぴかしゃ!)

 

最初はね、イベントだー!2期情報くるかなーライブ楽しみだなーぐらいの気分だったんですよ。ごめん、結構楽しみにしてたしそのために仕事も生き抜けた。

でもね!終わってみればですよ。なんと清々しい気分か。清々しい春風の会でも創設できそうな気持ちでした。本当に。

1ファンであるだけの私にできることなんて、せいぜいプラモ買うぐらいしか出来ないんだけど、それでもこの作品、この世界がもっと好きになる一日でした。次の給料でCDいっぱい買います。あとプラモ付きでなくていいんでBDBOX出しましょう。DVDでもいいぞ。本当に。ずっと見るから。ブキヤさん、なんとかなりませんかねぇ。

 

色々実験しながら書いてたら、ダラっとした文章になっちまいました。それではこのへんで。

次こそ連載書きます。蛋白質でした。

私が○○するためにしたn個のこと(nは自然数)


というタイトルの記事が嫌い、という話をしたら、友人曰くそういうタイトルでなければそもそも読まれないらしい、ということを聞きました。
上記のある種テンプレじみたタイトルは、大方意識高い系のブログ。やれお金を貯める溜めに行ったたった3つのことだとか、なんだとか。確かにキャッチーだしわかりやすい。タイトルを見たら一目瞭然ですから。ただ、どうにも引っかかる。何故こうも中身はともかくタイトルに軽くアレルギーを起こしてしまうのでしょうか。そこで一つ思い当たったことが、昨今の流行りのラノベと同じなのです。異世界に行ってゼロからやり直したりハーレムしたり修羅場過ぎたりするような、アレです。それでも今の流行りなだけで、内容は普通に面白かったりするんですよ。それはいくら私でも知ってますし、責め立てる理由も権利もありません。
キャッチーさって、時代とともに移り変わるものです。例えば私のラノベ黄金時代では、簡潔なタイトルが好まれたように思います。「灼眼のシャナ」「キノの旅」「とある魔術の禁書目録」etc... とにかく、スパッとリズムよく読めるタイトルが多かった。ところで現代っ子禁書目録をインデックスってスラスラ読めるんでしょうか?
では今はどうでしょう、長いタイトルのラノベ、本当に多くなりましたよね。それが悪いわけでもなんでも無いんですが、その流行りの一方で簡潔なタイトルもまた存在し人気を博しています。SAOとかね。

結局ラノベもブログも、結果的に売れなきゃ(稼げなきゃ)ゴミ、駄作と判断されるものです。つまり、その時代に合った内容かつトレンドのキャッチーさを持ったものが量産されるってのは、どこの世界も同じなんだなぁとおもった次第です。

ひょっとしたら、異世界でもこんな感じなのかな。

コスプレとネトゲ


ってちょっと似てる部分あると思うんですよ。
というのも、その世界への入りにくさ、という点です。
環境があってゲーム好きなのに、勧められてもネトゲしない人って、
「今から始めてもレベル追いつくの面倒だしな…。」
「みんな強いし武器掘りとかしんどそうだし、初心者に厳しそう…」
とかいろいろ思ってるんです。つまり、今から始めたんじゃ遅いだろうな、と。
それを飛び越えるガッツのある人間がいるのは確かなんですが、これは格ゲーに代表される対戦ゲームでも特に顕著だと感じます。

で、コスプレ。最近じゃコンパニオンさんとか公式レイヤーなるものがあって、コスプレも趣味から仕事になってきています。(もっとも、この風潮があと何年続くかという不安もありますがそれは別のお話)
その分個人のクオリティも上がっていき、撮影技術や衣装作成・造形に関しても、全体的にハイクオリティになっています。
もちろん、それが一部であり、大部分はそこまでやりこんでる人ばかりでないのも承知です。ですが、これからやろうかなと興味のある人はどうでしょうか。目に入る人は軒並み美形でかっこよくてきれいで、とてもとても…と気遅れする人が多いのでは?
申し訳ありません、私自身そのタイプですし、何かアドバイスができるわけではありません。これから始めようとしている貴方がもしこれを見ていたら、優しくて素敵な先輩に会えることを祈るぐらいしかできません。
ではなぜこれを書いているのか。それはあらゆるサブカルチャーにとって脅威となりうる問題だからです。
私は自嘲気味に「上を見すぎてしまう病」と呼んでいます。何事も調べてから実行に移るタイプで、興味を持ったことはガンガン調べます。そこでは美しい物やかっこいい技術が華々しく輝きを放っています。これに目がくらんでしまい、その先の一歩を踏み出せないのです。そこまでできるようになる苦労や時間を考えると…ね。
もちろん、何の苦労もなくそこへ至れるなんて甘い考えを持っているわけではありません。ですが、過去の記事でも書きましたが私は人の平均値を出すのに苦労するタイプです。それに加え飽き性でもあるので手に負えない。何かを始めるには相当不利な人間なのです。

長ったらしく書きましたが、今、どっぷり漬かっているいる趣味があり、新たな仲間を求めている方へ伝えたいことがあります。
それは、失敗をさらけ出してほしい、ということです。
誰だって最初からスーパーマンなワケはない。苦労して時間と失敗を重ねて成したものだと思います。その失敗を、苦労を、恐れることなくさらしてほしいのです。
そりゃ嫌だろうと思います。誰だってせっかくいい感じになったのにわざわざブッサイクな状態をさらしたいとは思わないでしょう。ですが、気後れ尻込みしている人間には、この上ない後押しとなります。Fatal Pushです。もちろん、その世界に入ってくれたらどんどん教えてアフターケアもしてあげてください。突き落として放置されて、伸びる人間はそもそも尻込みしませんから。

作者の気持ちを推し量るな


小学校の国語の時間、よく目にした問題だと思う。私はこれが大嫌いだったし、その問題を解いて得られるもの(というより問題を解いて身につく能力)が大方必要ないものであると思っている。何故ならこの問題を解いて身につく能力は、他人の顔色を窺って過ごすことに他ならないからだ。
一昔前、KYという言葉が流行った。空気(K)が読め(Y)ないというまんまの意味だが、これも私は嫌いだ。そもそも日本人はこの「空気を読む」という言葉を自分の都合のいいシチュエーションと解釈でしか用いらないからだ。

さて、ここまで一息に全否定してきたが、先に挙げた問題群を解く意味は、文章から書き手の意図やその作品を通じて伝えたいことを読み取ることだ。これは日常におけるコミュニケーションでも発揮される能力で、相手の言っていることを理解する能力に昇華するべき勉強だ。もっとも、それもできない輩もいるわけだが。
それを踏まえてもう一度言うが、私はこの勉強は最低限で良いと思っている。相手の話を理解する能力は必要だが、そこから相手の気持ちを推し量ることは無意味である。人の心なんて見えないし、移り変わるものだからだ。

そもそも作家は一字一句に意味を求めて文章を書いているのだろうか。そこを否定しては元も子もないかもしれないが、題材として挙げられた文章の作者が、意味を問う問題に対して「何も考えてませんでした!」と発言していたのも懐かしい。そう、実は何の意味もない詮索だったりするのだ。

話は少し変わるが、私は理系の人間だが現代国語と漢文が得意だった。そんなわけで意味を問う問題も多く見てきて正解を導き出すことも簡単だったわけだが、それで身に染みた顔色をうかがう能力は、私にとっていろいろなことの妨げになっていた。他人の目を気にせずにチャレンジするということがとても難しくなってしまったのだ。

この問題、先に挙げた理由のほかに、私が嫌う一番の理由はこうだ。この問題でテストの作成者が聞きたいのは、作者の気持ちを理解したかなどではない。「この文章のこの部分を読んで、私がこうであろうと思った作者の気持ちはなんでしょう」という、とても傲慢さの透けて見える(予想できる)ところなのだ。

世の学生諸君がこんな場末のブログなど見てようもないだろうが、もしこの記事が目に留まったなら、私はこう言いたい。

他人の気持ちを推し量るな。自分が感じたことを大切にしろ。


他人を気にして自己嫌悪に陥ったりして、何者にもなれなかった私からの言葉、なにかの役に立てば幸いです。